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また新木場で!?

「淫夢が悪夢に…「夢の島」ゲイご難!高校生らが裸の男性袋だたき」

SANSPO.com 2006年07月28日

夢の島公園や総合運動場のこんもりした木々の茂みは“忍び愛”に最適!?
夢の島でまたもゲイ襲撃!! 東京都江東区に住む都立高生(18)ら少年4人が、アルバイト男性(34)を袋だたきにして現金を奪った強盗傷害容疑で、警視庁に逮捕されたことが27日わかった。現場の「夢の島総合運動場」などは、ゲイ男性が出会いを求める“ハッテンバ”としても知られる。男性は自己アピールのため全裸でクルージング中に襲われた。4人は「ゲイなら警察に届けないと思った」と供述。遊ぶカネ目当ての余罪があるとみて追及している。

このニュースは、あるテストに使えるだろう。このニュースを見てあなたはどのように考えただろうか?

「ゲイは公共心がなくどこでもセックスをしたがる」、「あんなところでハッテンをしていたのが悪い」、「野外ハッテンのリスク管理がなっていない」などと思った人は、ホモフォビアを抱いている。このようにこの事件を考える人は、加害少年たちの犯行に様々な理由を提供してあげることによって少なからず協力しているのだ。

この事件への反応が遅かったことの言い訳をするわけではないが、いわば後出しジャンケンをすることによって、この事件に対する様々な意見を知ることができた。多くのマスコミも含め、この事件は「ゲイ」と「野外ハッテン」を結びつけて語られることが多い。今回取り上げている産経スポーツも事件そのものよりもゲイのハッテン場の記述に力を入れている。加害者側に関することは、年齢や社会的所属、犯行動機と事件の概要くらいで、ゲイのハッテン場や被害者の犯行に遭遇した時の状況は興味をかき立てるように事細かに説明している。この事件に対する反応も、「何々、少年の強盗は問題だが、それにしても公園でゲイは・・・」というように、事件を興味本位に面白おかしく描くだけではなく、このような態度を取ることによって加害少年と被害者の両方とも見下し、上の立場から他人事のように説教することができるのだ。このような態度を取り続ければ、自分がこのような犯行に遭遇することがないと信じることはできるし、加害少年も街の片隅にいる不幸な日本教育の失敗作とでも思えるのだろう。しかし、気をつけなければならないことは、「ゲイ」と「野外ハッテン」を強力に結びつけるのはこの事件を報道したマスコミの一種の操作であり、野外でのセックスはゲイのみが行っているようなものではなく異性愛者たちの間でも多く行われるセックスであること、そして、もう一人の被害者は服を着ていた状態で襲われているという事実だ。つまり、全裸のゲイ男性が襲われたことを過大視して、その前提から議論を始めるのはすでに加害者少年の言い訳に手助けをしているのである。今回のマスコミの野外ハッテンの過剰な注目と揶揄、そしてこの事件の暴力性の希薄化は、明らかなゲイバッシングである。

私は、この事件を始めて知ったとき、「またか!」と思った。「またこのような事件が起こったのか!それも6年前の新木場事件と同じ場所、同じような加害者の社会的特性、同じような犯行理由で。いったい、私たちはこの6年間何をしてきたのだろうか?ゲイコミュニティは、セクシュアル・マイノリティーズの活動は、いったい日本社会の何を変えてきたのだろうか?」と問わざるを得なかった。

間違いなく、今回の事件は不幸なものだった。何より被害者にとって。そして、加害者にとってもだ。前回の新木場事件が起こったのは、2000年で6年前である。今回の加害者少年が11-12歳の頃だ。私はそのことを考えると、今回の事件は本当に起こるべくして起こったのかと問わざるを得ない。少年たちが最も多感な時期を過ごしたであろう12-18歳の6年間に私たちは本当に何もできなかったのだろうか?今回の少年たちは、前回新木場事件を起こした少年たちとは違う人間なのだ。この事実を見落としてはいけないだろう。

今回の事件を考えると、9.11テロが起こった直後にフランスの哲学者のジャック・デリダが新聞のインタビューに応えた言葉を思い出さざるをえない。デリダは、9.11テロに対して、「私は9月11日の犠牲者に絶対的な同情を寄せるが、それでも、この犯罪における何人も政治的に無垢だとは思わないと言わねばなるまい」と言っている。そして、このように付け加えている。「自らの過失、自らの政策の誤りについて、自己を免責しないこと――ありえないほど割に合わない形でその恐ろしい代価を払っている瞬間であっても。」世界的な危機の中にあったときに彼が見せた彼の政治的、倫理的に厳しい態度から学べることは数限りないほどあるだろう。

今回、Aktaでの「新木場事件を考える」というイベントにも参加してきた。その中で、スピーカーの人々が口をそろえて言っていたことは、「このような事件はまた起こるだろう」といったものだった。

いや、断固として、二度と起こしてはならないのだ!


執筆者 カズ
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コメント
この記事へのコメント
まず、自分の母校にこのような団体があると知り、とても誇りに思います。

今回の事件についてですが、確かに報道の仕方は、被害者・加害者双方を社会的なアウトサイダーとして卑下した見方があったように思われます。

しかし報道の視点が変わったとして、このような事件が起こる限り、世間のゲイに対する認識は変わらないのではないかと考えました。
少なくとも暴行を受けた男がハッテン目的で全裸で公園にいたのなら、マスコミはその部分を記事の中に取り上げるでしょう。そして、その男をハッテンとは関係ないヘテロの人が見つけた場合、不快感を覚えるでしょうし、なにより法に触れる行為になりますよね。もし今回警察に通報されていれば、新聞には「ゲイ、全裸で逮捕」などと言われ、ゲイに対する偏ったイメージが浸透していたかもしれません。

私もゲイですが、この事件に対しては「あの場所で、全裸という格好でハッテンしていた男の危機感のなさ」も大きく問うべきだと思います。そして免責しないためにも、我々も学ぶことはありますね。この考え方は、果たしてホモフォビアでしょうか。

ゲイバッシングのない社会への取り組みは少しずつ始まっていると思います。しかし我々が目指す社会とは、ヘテロのカップルもやってるからということで、野外でハッテンする全裸の男も見逃すような社会でしょうか。
問いだけ提示しながらも、私にも答えはまだ分かりません。

学生の素晴らしいところは、考える場所と仲間が身近にいることだと思います。ぜひ色んな意見を通じて、更なる活動へと広がっていくことを願っています。

長文失礼しました。

2006/08/18(金) 16:45:23 ・ ICUOB (URL) - ・ [編集...]
▼ 原則論としての「反ホモフォビア」
どうも、超ひさびさの登場のゆ@シンポシオンです。実は今年3月にICUを卒業して他大学(某ロースクール)へ進学してしまったのですが、引き続きシンポシオンにはゆるーくタッチしていこうと思ってますので、どうぞよろしくお願いします。

今回の新木場事件の『再発』に関して、私も、微妙な違いこそあれ、カズが本稿に書いたものとほぼ同じ印象を持っています。加害者・被害者・マスコミがどうこうという以前に、このような事件を再び起こしてしまった私たち(ゲイ/セクマイ・コミュニティ)自身の問題に他ならないと。無論その方向性は、「野外ハッテンを容認してきたこと」では断じてなく、「ホモフォビアに基づいた暴力を(黙示的にであれ)容認してきたこと」に対する反省です。

>ICU OBさん
どうも初めまして。少々辛辣な反論が含まれるかもしれませんがご了承ください。と同時に、ICU OBさんの意見に反論するカタチで自分の意見を述べてしまうので、真っ正面から答えていないかもしれませんが、これも先にお詫びしておきます。

> しかし報道の視点が変わったとして、このような事件が起こる限
> り、世間のゲイに対する認識は変わらないのではないかと考えまし
> た。
> 少なくとも暴行を受けた男がハッテン目的で全裸で公園にいたのな
> ら、マスコミはその部分を記事の中に取り上げるでしょう。そし
> て、その男をハッテンとは関係ないヘテロの人が見つけた場合、不
> 快感を覚えるでしょうし、なにより法に触れる行為になりますよ
> ね。もし今回警察に通報されていれば、新聞には「ゲイ、全裸で逮
> 捕」などと言われ、ゲイに対する偏ったイメージが浸透していたか
> もしれません。

とりあえずハッキリさせておくべきことは、一般的に言って、野外ハッテンそのものは犯罪ではないということです。刑法174条の公然わいせつ罪は、通説・判例によれば「不特定または多数人が認識しうる状態」で、セックスや性器露出などのわいせつな行為をした者を処罰しますが、野外ハッテンの多くの場合は深夜の公園とか、昼であっても茂みの中などでなされるので、このような場合は公然性の要件を満たさず不可罰と考えられます。

もっとも、野外ハッテンが犯罪か否かはマスコミの報道には影響を与えないでしょうし、現に今回も法には触れないはずの被害者の行動が華やかに報道されているわけですから、本質的な問題は別の点にあるでしょう。すなわち「世間のゲイに対する認識」に関してです。

> 私もゲイですが、この事件に対しては「あの場所で、全裸という格
> 好でハッテンしていた男の危機感のなさ」も大きく問うべきだと思
> います。(中略)しかし我々が目指す社会とは、ヘテロのカップル
> もやってるからということで、野外でハッテンする全裸の男も見逃
> すような社会でしょうか。

おそらくICU OBさんは、「世間のゲイに対する認識」として、ゲイは「野外でハッテンする全裸の男」であるという「偏ったイメージ」があるためにこれを是正しなければならないという考えをお持ちなんだと推察されます。確かに、ゲイの中には野外ハッテンする人もいればしない人もいるし、ヘテロカップルも野外ファックする人はいるわけで、私も、ゲイ=野外ハッテンと結びつけられるのは偏っていて、これは是正されなければならないと思います。

ところが、その方法論として、ICU OBさんは、野外ハッテンをしなければよいとお考えかと思いますが、これが私の考えと違うところなのです。私は、あくまでも、加害者や社会に対するホモフォビアに基づく暴力への反対や、マスコミに対するホモフォビアに基づく報道への反対によって実現されるべきものと思っています。その理由付けとして。。。

(1)野外ハッテンは犯罪ではない
これは既に触れました。もっとも、仮に法に触れるようなハッテンの仕方をしていたとしても、(少なくともゲイコミュニティとして)被害者を責めるべきではないと思うので、理由付けとしては小さなものです。

(2)野外ハッテンはゲイ・コミュニティとして機能している
いくら二丁目や、屋内ハッテン場や、ネットでの出会いが増えようとも、そうした方法を物理的に採り得ない/感情的に採りたくないゲイは、現在も多いと思います。前者の例として、地方在住のゲイ、ネットという情報資源を持たないゲイ、家族と同居のゲイ、経済力のないゲイ(若者や失業者等を含む)、後者の例として、匿名性を重視するクローゼットのゲイ、既に多くの仲間がその場にできているゲイ、セクシュアリティとして野外ファックが好きなゲイ、などが容易に思いつきます。異性愛社会に生きる私たちにとって、野外ハッテン(場)が、自らのゲイ・アイデンティティないしゲイネスを発露できる唯一の空間であるという場合も少なからずあるのではないでしょうか。

(3)今回の犯罪は、ゲイをターゲットにしたものに他ならない
カズもこの点を中心に書いていると思いますが、私もまた、他の何を差し置いてもこの点を一番強調したいのです。すなわち、加害者は「ゲイなら警察に届けないと思った」と明確に供述していることからもわかる通り、彼らは「ゲイだから」狙ったのです。決して「野外ファックをしているから」狙ったのではありません。

夜の新木場周辺というのは工業地帯ということもあり住宅はほぼ一切なく、したがって夢の島公園を通る人はほとんど皆無、ハッテンしようとするゲイのみが夢の島公園のある一定の場所に向かうというような状況の中、加害者はなぜその場所に向かったのか。答えは簡単、ゲイを狩るために他なりません。そこのゲイたちが野外ファックをしているということは、ゲイであるということを明らかした要素(いわばカミングアウト)に過ぎないと思います。

すなわち、加害者は、ゲイがゲイであるということが公になるということを恐れているという、ゲイ自身に内在したホモフォビアを巧みに利用して犯行の発覚を免れ、かつゲイに暴行を加えることで加害者自身のホモフォビアを満足させるために行った、というのがこの事件の本質と見るべきではないでしょうか。すなわち、ホモフォビアに基づいて発生した犯罪に他ならないと考えます。

このような状況のなか、仮に全てのゲイが野外ハッテンをやめたとしたら、こうした被害は無くなるのでしょうか。明らかに無くならないでしょう。加害者は「ゲイだから」狙ったのです。野外ハッテンはゲイであるということがかなり明らかになる行為ですが、その他にもそのような行為はたくさんあります。例えば、私に、ネットで出会った相手、飲み屋で出会って一夜を過ごした相手、好きだということを伝えた学校の友人/同僚、ゲイだと打ち明けた友人知人などが居たとします。これらいずれの相手も、私がゲイであるという確証を握っているわけで、私がゲイであるということを公にされたくないという思いがあり、相手に悪意があれば、すぐにでも暴力・脅迫・威圧・いじめの対象になる可能性があるということを意味しているわけです。

無論、この暴力を回避するために、野外ハッテンをやめるがごとく、出会いをやめる、打ち明けることをやめるという対策をとることは可能でしょう。もちろん、命がけの「リスク管理」としてそうした対策をとる必要性を全面的に否定するわけではありませんが、しかしそれは、クローゼットに入りノンケを装う、ということに他ならないわけです。究極的にはゲイであることをやめるべき、という所まで帰着するでしょう。この結論が妥当ではないことは火を見るよりも明らかです。

それでは、どうすればよいのか。お決まりの結論ですが、ひたすら「反ホモフォビア」しかないでしょう。まず、加害者のホモフォビアに基づく暴力行為を糾弾するとともに、このような加害者を生まないような教育システムを構想しなければならないし、社会に対して声を発し続けなければならないでしょう。また、公になることを恐れて被害を通報しないような、私たち自身に内在するホモフォビアをも克服していかなければなりません(この点、今回の被害者は通報したわけで、責められるべき点がないばかりか勇敢であったと賞賛されるべきだと思います)。さらには、被害の本質をみることなく、ことさらセンセーショナルに全裸ハッテンをとりあげるマスコミのホモフォビアに抗議する必要もあることは当然です。

さらに重要なのは、これが再発した事件であるということ。冒頭でも書きましたが、6年前に死亡事件が発生していながら、それを社会問題化できずに、再び同様の被害を引き起こしてしまったという、私たちゲイ/セクマイ・コミュニティの体たらくを痛烈に反省しなければならないと思っています。私もaktaの勉強会に参加してきた一人ですが、スピーカーの方々はどこか他人事といった感じで話していたことが非常に印象的でした。質疑応答の初っぱなで、なぜ今回の事件を受けてもっと怒らないのかと非難してしまったのですが、このような他人事・上の空といった態度が、ゲイバッシング被害を継続させ、ホモフォビアに満ちた社会を温存していくのではないか、という感想を持っています。

最終的にはICU OBさんへの反論とは言い難い論調になりましたが、最後まで読んでくださった方、長々とおつきあいいただき、ありがとうございました。ご意見・ご感想お聞きしたいのでお待ちしています。
2006/08/19(土) 16:51:19 ・ ゆ@シンポシオン (URL) xH5E..Ak ・ [編集...]
▼ OBさん、コメントしていただいて大変嬉しいです。
>ICUOBさん

大変丁寧なコメントありがとうございます。シンポシオンのメンバーもなかなかコメントを書いてくれないので、自分が書いたことがどの程度伝わっているのか不安になることがあるので、このようなコメントをつけていただけると、刺激になりますし、実際に読んでくれる人がいるのだと実感することができます。以下のコメントは、私の個人的な立場と意見です。いくらか辛辣な批判が含まれるかもしれませんが、初めに謝っておきたいと思います。

この記事を書いたとき、私が興味を抱き、そして、危機感を持ったことは、どうしてこの事件への反応が「決して起こってはならないことが起こってしまった」というものではなく、「しょうがない」や「被害者が悪い」といった方向で説明されるのだろうか、または、同性愛者への暴力が面白おかしく描かれるのかということです。もっと的確にいうと、なぜ私たち(社会も、そしてゲイ自身も!)はこの事件が起こったこと、もしくは、これからも同じような暴力が起こるだろうということを当然視したまま、平気でいられるのだろうか、ということです。そして、この記事で不十分なかたちですが大まかに書いたことは、私たちがゲイへの暴力を「当然視」する考え方はどのようなものだろうか、どのように形づけられ、動機づけされているのだろうか、といったものです。

OBさんの意見ですが、

>私もゲイですが、この事件に対しては「あの場所で、全裸という格好でハッテンしていた男の危機感のなさ」も大きく問うべきだと思います。そして免責しないためにも、我々も学ぶことはありますね。この考え方は、果たしてホモフォビアでしょうか。

「危機感」のなさを問うのは、あまりに簡単なのではないでしょうか。つまり、この事件を個人が悪かったことにして、私たちが何もしないこと、現状をひたすら維持することを正当化することにしかならないのではないでしょうか。さらに、大怪我を負った被害者をさらにコミュニティの側から責めたてるのは、被害者が被害にあったときに通報することがさらに難しくなるでしょうし、そのことはまさしく少年たちが今回の犯罪を行った動機そのものです。つまり、もし少年たちが今回の事件を起こした動機が、すなわち「ゲイは殴って金を脅し取っても通報しない」という発想がホモフォビアならば、その発想の延長線上にあり強化するような考え方も同様にホモフォビアなのだと私は考えます。何度も強調しますが、私はこの事件を「同性愛者」、もっと正確に言うと、「社会が正常なものとしないセクシュアリティを持った人間」への暴力だと捉えています。野外ハッテンを過大視して、それを責めたてるのは、「社会が正常なものとしないセクシュアリティを持った人間」への暴力をゲイ・コミュニティ自身が繰り返すという悲喜劇であると思っています。

>ゲイバッシングのない社会への取り組みは少しずつ始まっていると思います。しかし我々が目指す社会とは、ヘテロのカップルもやってるからということで、野外でハッテンする全裸の男も見逃すような社会でしょうか。

「野外でハッテンする全裸の男」を「見逃す」社会が最高のものであるか、そして私自身が実際にそのようなセックスを行うかは別にして、私は工業地帯にある夜の公園、つまり「人気のない場所」でセックスをする自由さえもない社会には全く魅力を感じません。そのような社会は徹底した管理社会になるでしょう。公園でセックスをしていて、たまたま警察に見つかり説教される程度ならば自己責任の範囲内でしょうが、少年たちからリンチを受けるのはどう考えても容認できるものではありません。

さらに、今回は「野外ハッテン」でしたが、もしこれが「インターネット」で出会った人たちに暴力を受けた場合も被害者に対して同じような批判が行われるべきでしょうか?もし、そうであるなら、ゲイ・コミュニティは、全く機能していないと言わざるを得ないでしょう。また、現在セクシュアル・マイノリティーズの間で主流になっている「インターネット」と下火の「夜の公園」が違うのならば、いったい何が違うのでしょうか?「夜の公園」で月明かりや街頭を手がかりにしながら茂みや木々の間で見知らぬ人と出会うことと、「インターネット」で張り巡らされたリンクを辿りながら写真やプロフィール、そして数通のメールかチャットで見知らぬ人と出会うのは、いったいどこに違いがあるのでしょうか?「野外ハッテン」を批判するならば、このことも考慮にいれないといけないと思います。私は、両者には大きな違いをほとんど見つけられませんし、ある程度の護身術を身につけていなければ危険なのも同様でしょう。つまり、現在も、同性愛者たちが夜の公園で出会っていた時代と大差はないのではないでしょうか。そのことに対する同性愛者自身の意識は違っているかもしれませんが。そうすると、ゲイ・コミュニティの中に、「野外ハッテン」で起きた暴力事件を対岸の火事として捉えることができる人間はどの程度いるのか私には疑問です。

OBさんは、「私たちが目指すべき社会」というとても興味深い問題提起をしていただきました。私自身もまだまだはっきりした考えを持っていません。ただし、この事件に関係して、私が思い描く目指すべき社会は最低限このようなものだと言えるでしょう。たとえば、表立って言えない様なセックスをしていたからといってその人間に対する暴力が正当化されない社会、違法滞在しているからといってその人間に過剰な搾取や暴力が正当化されない社会、ホームレスだからといって暴力を受けない社会などなど、つまり、被害者の落ち目によってある犯罪が正当化されない社会であり、被害者の負い目につけこんだより大きな暴力を黙認するようなことが決してない社会だと思います。
2006/08/21(月) 02:11:33 ・ カズ (URL) yra9SvHk ・ [編集...]
裸でいたからといって当然ガキ共が裁いて良いわけじゃなく、
例えボコられても通報こそすれ、大手振って被害者ヅラするなよって事なんですよ。
治安が悪化している世の中です。
裸になるのは勝手ですが、その分リスクを背負わなきゃいけないと思いませんか?

外で派手にヤッて当然なゲイって問題ありだなと俺は思います。

先述のとおり、日本の治安は悪化していく状況で、育ちも悪く程度の低いガキ連中などが何もしない保証はない。
2006/09/20(水) 00:42:20 ・ (URL) - ・ [編集...]
▼ 新木場事件再発防止の要望書の動き&レスです
 「新木場事件を繰り返さない」と題して、東京都の教育担当者などに対して要望書を送ることをAGPなどが共同で呼びかけています。私個人はもちろん、シンポシオンも団体賛同しています。みなさまにもぜひとも賛同していただきたい!と思いますので紹介します。賛同や詳細は下記ホームページを参照してください。

http://blog.goo.ne.jp/shinkiba06


 それから、レスです。

> 裸でいたからといって当然ガキ共が裁いて良いわけ
> じゃなく、例えボコられても通報こそすれ、大手振っ
> て被害者ヅラするなよって事なんですよ。

 そうした態度が、被害者が通報すらできずに泣き寝入りをすることを助長するのではないでしょうか? 今回の事件は、まさにゲイバッシングの氷山の一角にすぎず、正々堂々と「被害者ヅラ」して通報したからこそ明るみにでたのです。

 さらに今回は、裸ではなかった人(付近に停車中の車の中にいた人で、おそらくハッテンの為に訪れたゲイ)も被害にあっているのです。つまり、何度も言うようですが、加害者にとって、被害者が「裸である否か」は全く関係なく、「ゲイであるか否か」で狙った犯罪です。

> 治安が悪化している世の中です。裸になるのは勝手です
> が、その分リスクを背負わなきゃいけないと思いません
> か?

 そのリスクを作っているのは誰なのでしょうか? 裸になっている(=ゲイであると公言している)被害者なのでしょうか? しかし、加害者がいなければ、たとえ裸になったからといってリスクはないのではありませんか? だとすれば、被害者を責めるのはお門違いではありませんか?

 これがもし二丁目で起きていたらどうでしょうか? あるいはゲイであると伝えた友人からボコられたらどうでしょうか? またはゲイであると公言した市長が刺殺されたらどうでしょう? 彼らに対して「ゲイであると伝えるのは勝手だが、そのリスクは背負わなければならない」などと言えますか? (仮に言えるとしたら、それは「ゲイはクローゼットに入っていろ」と言うのと同じでしょう)
2006/09/20(水) 15:58:06 ・ ゆ@シンポシオン (URL) PICPFHVU ・ [編集...]
被害妄想が強すぎなんじゃないですか?ww

>このような加害者を生まないような教育システムを構想しなければならない

こんないつ実現するか、また実現してもきちんと機能するかどうかも分からないことを提案するよりも
まずは足元を見て、常識はずれなことを止めることが先決なんじゃないですか?

ああ、こんなことを言ったら俺もホモフォビアにされちゃうのかな・・

まあそれは冗談として、野外発展を批判する=ホモフォビア
なんて考えは止めた方がいいと思いますよ。
ホモであるからこそ間違った行為は批判する。
それさえも抑えつける様であればもうそれはカルトの世界ですよ。
2006/09/21(木) 18:55:49 ・ ハードゲイ ◆HGOlXYRhQA (URL) - ・ [編集...]
▼ レスです。
>ハードゲイさん
 コメントありがとうございます。

> こんないつ実現するか、また実現してもきちんと機能す
> るかどうかも分からないことを提案するよりも まずは
> 足元を見て、常識はずれなことを止めることが先決なん
> じゃないですか?

 既に指摘しているところですが、もちろんゲイコミュニティの中で、実際に野外ハッテンをする人に向けて、野外ハッテンをすることでこんな被害を受ける危険性があるよという情報を発していくことは必要ですし、その情報を受けた人が各自の判断で野外ハッテンを止めたり、控えたり、危険に対して注意を払いつつも続けたりすることは当然必要だと思います。そしてそれが危険を避けるために現実的な提案であるということも確かにその通りだと思います。

 しかし、それだけでよいのか?ということなんです。ゲイコミュニティが、ゲイとして、外に(=ノンケが多数を占める社会全体に対して)発する情報としてはそれだけでよいのか?ということです。

 何度も繰り返すのですが、これは野外ハッテンを狙った事件ではなく、ゲイを狙った犯罪なのです。したがって、例えばあなたがゲイである以上、あるいは私がゲイである以上、あなたも私も被害者になりうるということです。もちろん、あなたや私がノンケを装って生きるのならば、なんら被害にあわないのかもしれませんが、そんな生き方を強いられることを許すことができますか? 私はそんな強制を許すことができないのですが、もしそれを許すことができるとしたら、それは自らがゲイであるということを嫌悪しているということを意味するのではありませんか? そのような態度を、私は(とても生意気にも)「ホモフォビア」という言葉で呼んでいるわけです。

> 野外発展を批判する=ホモフォビアなんて考えは止めた
> 方がいいと思いますよ。ホモであるからこそ間違った行
> 為は批判する。それさえも抑えつける様であればもうそ
> れはカルトの世界ですよ

 私は(そしておそらくカズも)「野外発展を批判する=ホモフォビア」という考え方は一切提示したつもりはありませんし、現に全くそのような考えを持っていません。私が強調しているのは、新木場事件を「野外ハッテンの是非」にクローズアップして取り上げることを止めるべきであるということであり、そうではなくて新木場事件を「ゲイに対するヘイトクライム」と位置づけるべきであるということです。

 もちろん「野外ハッテンの是非」というのは非常に興味深いテーマではありますが、それのみに固執してこの事件を語ることは、重要な論点を見逃していることになるのではないか?という問題意識を持っているということです。すなわち、野外ハッテンが(=ゲイであることが)、例えどんなに「常識はずれ」で「間違った行為」であろうとも、それらの者に対して「強盗を犯してはいけない」という極めて常識的なコンセンサスを得るために、ゲイは社会に対して声を発するべきなのではないでしょうか?という提案です。

 (なお、既に述べてきたように、私は野外ハッテンの存在を肯定する立場にあります。但し、これが仮に否定的な立場であったとしても、上記の結論を左右するものではないはずです。)
2006/09/23(土) 01:43:53 ・ ゆ@シンポシオン (URL) PICPFHVU ・ [編集...]
▼ 皮肉なことに
今回の記事は、センセーショナルな事件であったためか、多くの誤解を呼んだようです。私は、ゆ@シンポシオンさんが触れたように、野外ハッテン批判=ホモフォビアという意見を書いた覚えはありませんし、もしそう読める部分があるのなら、提示していただきたいと思います。私は、むしろ野外ハッテンにしろ有料ハッテンにしろ、ハッテンに関しての議論は大いにすべきだと思いますし、(決してそう思いませんが)もしそれが間違った行為ならば批判されるべきでしょう。

私がこの記事で指摘したかったのは、ヘテロの人々も野外で性行動を多く行っているにも関わらず「野外ハッテン」=ゲイという強烈に結びつけられたイメージは、そもそもマスコミによって作られた構図であり、ある暴力を正当化したり、その暴力性を緩和するような働きをしているということです。そして、そのような構図に乗っかったまま議論することは、暴力を受けた被害者をバッシングすることにしかならないし、結局はゲイバッシングにもつながっていくという事実です。この事実を私は「ホモフォビア」だと呼んでいます。

今回の事件に関する様々な見解に見られる皮肉な面は(少なくとも「皮肉」だと思って欲しいのですが)、被害者をバッシングしある特定のゲイが行うような野外ハッテンを特に過剰に問題視するような意見を出している集団は、反同性愛の保守層(バックラッシュ派)とセクシュアル・マイノリティーズという現実です。つまり、ゲイ自身が反同性愛の保守層の意見を強化し、同調しているのが現在多く見受けられます。おそらく、この現実を何よりゲイに限らずセクシュアル・マイノリティーズのコミュニティそれぞれで真摯に引き受けなければならないでしょう。
2006/09/23(土) 06:57:02 ・ カズ (URL) xH5E..Ak ・ [編集...]
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