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HIVは誰の病気か?
 私が題名で取り上げた「HIVは誰の病気か?」という問いは、良識のある人間ならば躊躇わせる問いです。なぜなら、おそらく返ってくる答えが予想できるからでしょう。「それは、ドラッグ中毒者の病気だ。同性愛の病気だ。売春婦の。アフリカの・・・」また、もしかしたら、「血友病患者の、金に目がくらんだ製薬会社に騙された人の病気だ」と良心的な人から返ってくるかもしれません。ですが、「私たちの」や「地球に生きる全ての人が感染する可能性のある病気だ」という答えは、とても少数になるでしょう。「HIVは誰の病気か?」という問いそのものには、自分自身の病気ではないことを確認したい欲望が働いているかもしれません。そして、この問いを躊躇わせるのは、この質問そのものがHIVの患者やリスクファクターと呼ばれる人々に対して抑圧的であること、また抑圧的に使われてきたことを思わざるをえないからではないでしょうか。

 ここ数日に配信されたニュースは、少なくとも私にとって「HIVは誰の病気か?」という問いを問わざるをえないものばかりだったような気がします。

 アメリカのニュースは、アメリカの中でHIV患者が増加しており、その中で多くの人が自分がウィルスに感染していることを知らないため早急な検査の実施が必要だというものでした。このニュースの中でこのようなデータがありました。

 04~05年にニューヨークなど全米の5都市で1767人の男性同性愛者を対象にした調査では、全体の4分の1がHIVに感染しており、このうち約半数の48%は感染を知らなかった。人種別では、黒人が46%と突出、感染を知らなかった割合は67%に達していた。白人は21%(感染を知らなかった割合18%)、ヒスパニックは17%(同48%)だった。


この中で、同性愛者の黒人のHIV感染の比率の高さに目を引きますが、何よりも重要なことは、自分の感染を知らなかった人の割合でしょう。黒人やヒスパニック系はそれぞれ67%、48%と白人の18%に比べて突出しています。この数字には、社会の中の力関係が明確に表れています。HIVの問題は、性行動など単なるリスクファクターなどで語れるものではないでしょう。

このような力関係は、ホモフォビアとHIV差別の根強い日本社会では、もっと複雑な様相を作り上げています。「エイズ国際会議の前に(下)」というニュースでは、このようなエピソードが紹介されていました。

「同性愛者であることが同僚にばれると思うと、怖くて死にたくなる」
 大阪府茨木市立北陵中学校の体育館。約八十人の三年生を前に、教諭が一通の電子メールを朗読した。エイズウイルス(HIV)に感染した同性愛者の男性が、神戸市内に事務局を置く非政府組織(NGO)「BASE KOBE」に寄せた相談だった。
 男性は職場で、自分が同性愛者であることを隠し続けてきた。投薬治療を受ければ発症を遅らせることができる。しかし保険を使うと、会社に知られる恐れがある。治療に踏み切れず、だれにも何も言えないまま、苦しみ続けているという。


 このエピソードは、自分はHIV感染していると知っているが、周りに知られることが恐ろしくて治療を受けられないという実に悲劇的なものです。しかも、彼が苦しんでいるのは、現実の差別ではなく、彼自身が内包している彼自身のホモフォビアであり、HIVへの差別的なまなざしなのです。おそらく彼は昼夜問わず、自分自身の「良心」によって苦しみ続けているのでしょう。
 このようにHIVへの根強い差別がある社会の中では、HIVを「私のもの」とすることができず、HIV感染者は自分自身を他者として責め続けなければならないのです。

最後に中国のニュースですが、中国政府自身がHIVへのディレンマを作り上げているものです。HIVを認めたくないが、事実としてあるという、差別意識の典型的なものではないでしょうか。私はこのニュースを引用するのは、中国への支援が必要であることと同時に、日本も同じ過ちを犯して欲しくない、毛沢東の言葉を使うならば「反面教師」にして欲しいと思うからです。

実は先日、保守系の反・性教育系の講演会に行って来たのですが、そこで読み上げられた決議案(講演会なのにどうして決議?って感じですが)では、「中高生の妊娠中絶やエイズ急増をもたらす「過激な性教育」を追放しよう!」というものがありました。上記の日本のHIV感染者の体験や中国政府のHIVの対応、日本の保守系の動きでは、HIVをとにかく「おぞましきもの」として、他者の、私ではない誰か遠くの「不潔な」者が持つものとしたいという欲望や「希望」があるように思います。その結果、アメリカの調査が明らかにしたように、HIVの被害者が社会的弱者に押しやられていきます。最近では、HIVの女性(特に性暴力の被害者)への感染も深刻で、しかも感染を知らないケースや感染しても治療を受けられないケースが多いようです。

もし、HIVが「おぞましい」ものであるとしたら、弱者を切り捨てようとする社会の意識が反映されるからではないでしょうか。
「HIVは誰の病気か?」
この質問は、もはや抑圧的な意味で使われてはいけないのです。

(執筆者 K.)
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