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「ゲイは男性フェロモンに反応」はそんなに衝撃的?
 先日お伝えしたニュース「同性愛男性の脳、フェロモン反応は女性に近いと報告書」について、いくつかのブログで話題になっていますが、これってそんなに驚くべき発見なのでしょうか?
 まず始めに、『クイア・サイエンス』の共訳者として知られる玉野真路氏のブログに、同書の著者であるサイモン・ルベイ氏のコメントが掲載されており、このニュースを考える上で有用だと思うので、引用させていただきます。

it supports the idea that the hypothalamus of the brain is organized differently in gay and straight men. By itself, this study does not explain the causes of this different organization. However, there have been a large number of studies in the last years or so that together strongly suggest that biological factors operating before birth have a strong influence on a person's sexual orientation in adulthood.
(訳:それ(この論文)は、脳の視床下部はゲイとストレートでは異なる様式で組織化されるという考えを支持します。それ自体では、この研究はこの異なる組織化の原因を説明しません。しかし、昨年、すでに多数の研究があり、それゆえまとめて出生前に制御している生物学的因子が成人後の人の性的指向に強い影響を与えていることを、強力に示唆します。)


 前半部分について私なりにザクッととまとめてみるならば、「裸のオトコをみて、ゲイ男性は勃起したが、ストレート男性は勃起しなかった」というような、いってみれば既にわかりきったことが脳の視床下部の反応でも確認された、ということなのでしょう(笑)

 ところが後半は、そのある種わかりきったことが「脳の視床下部の反応」であるというところが、今回の報告書が「衝撃的」であるゆえんである、ということをおっしゃっているのではないでしょうか。おそらく、脳の視床下部が先天的に性的指向に影響を与えるというような先行研究があるのだと想像します。

 さて、その先行研究の内容については玉野氏の精査を待つとして、ここでは、このような結果が与える社会的影響についてちょっと考えてみたいと思います。GaysiteCafeでは次のようなことが書かれており、今回の報告書の結果をおおむね歓迎しています。

このような発表は、「同性愛=単なる一時的な趣向・もしくは精神的な病気」という誤った認識から開放してくれるものであると思うので、個人的には歓迎、というものです


 なるほど、先天的にゲイであるということを証明できるならば、生まれた後には変更不可能なのだからしょうがないじゃないかという抗弁が利用できるため、ゲイの社会的承認や権利を獲得していく上で戦略的かもしれません。

 しかし、そのような変更不可能性を強調することは、もしかしたら、「同性愛者」と「それ以外の人たち」を本質的に(生物学的に)異なるものである、といった主張を正当化し、社会の偏見を助長する結果を招くかもしれません。先日のニュースで「ヒトラーが見たら、大喜びして同性愛者を見分けるために使ったかもしれませんね」と指摘した通りのことが、生殖医療技術の発達に伴い、近い将来違った形で出現することは容易に想像できる訳です。これはGaysiteCafe次のように危惧する通りです。

但し、遺伝子研究が進むのと同じく、身体等の構造が、その人間の存在や価値として判断される可能性もあるので、この発表が変に一人歩きして差別に利用されることが無いよう願いたいですね。


 玉野氏もその論旨に同調し、次のように書いています。

ゲイかどうかをPETで判別できるならば、それでスクリーニングを行って、レッテル張りをして、差別をするということにも利用できてしまいます。こうした研究結果がそういった悪用をされないよう監視が必要でしょう。


 そしてそればかりか、その先天性の抗弁は「後天的な特性は変更可能なのだから、社会にあわせるべきだ」という前提無しには成り立たないのではないでしょうか。もう少し広い視野でセクシュアルマイノリティーズを眺めてみるならば、その抗弁が使えない人たちをも抑圧することにもなりかねないのだろうかという危惧を抱かざるを得ません。

 例えば、バイセクシュアルの場合、(将来はわからないが少なくとも)現段階では、その両性愛的性質が脳の視床下部などといった科学で証明されているとは、(少なくともゲイに関するそれほどは)言いがたいわけで、バイセクシュアリティに対するバッシングの根拠にもなりかねないわけです。同様に、トランスジェンダーの一部の人は、「性同一性障害」という科学で先天性が証明(ないし正当性が付与)されることで救われている一方、「性同一性障害でない人たち」の状況は依然厳しいわけです(それどころか、性同一性障害の輝かしい社会的正当性の陰で、その困難は増大しているという面もあるでしょう)。

 その危惧は、先天性の抗弁が使えるはずだったレズビアン・ゲイ自身にも常につきまとうと言えます。というのも、同性愛の先天性が性科学の分野では証明されつつあるとはいえ、依然として後天説も有力であり、いつその先天性が失われるかどうかはわからないわけです。現に玉野氏も次のように、同性愛性の後天性を指摘します。

もちろん、生まれた後の過程にも影響されていることも間違いない。一卵性双生児の研究で片方がゲイである場合、もう片方もゲイとなる確率は35%程度です。これは普通の兄弟での性的指向の一致率が数パーセントなのと比べてもずいぶん高いものですが、完全に一致しているわけではない。つまり、生得的な要因が”影響”はするが、”決定”しているわけではない。「育った環境によって反応の仕方が変わる」ということは事実起こっているようです。


 ということは、極論すれば、先天性の抗弁に頼ることは有効どころか、害悪ですらある、ということになるかもしれません。その代わりに目指すべきは、そのジェンダー/セクシュアリティが先天性だろうが後天性だろうが、その多様性を認める社会、ということですね。そういった意味で私は、今回の性フェロモンと脳視床下部、性的指向の先天性の関連性のニュースは「驚くに足らない」と評価すべきだ、と考えます。

 最後に、GaysiteCafeに書かれていた文章が印象的ですので、これを引用して締めくくることとしましょう☆

やっぱり男の汗で(*´д`*)ハァハァするのはゲイとして当たり前の反応だったのねv と言っても、実際にはタイプのオトコ限定ではありますがvv


(執筆者:ゆ)
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コメント
この記事へのコメント
▼ すごい。。。
力作ですね。お疲れ様です。ゆさん。
確かにシンポシオンの中には社会構築主義的な見方を支持している人が多いですね。玉野さんの視点もとても興味深いです。どうも僕はがちがちの文系ですので新鮮です。
私が言いたいことは全て言われてしまわれたって感じですが、それでも気になることは、もし、今回の実験で同性愛男性と異性愛男性の間に違いが見つからなかったら、この研究チームはその結果を発表したのだろうか、もし発表したとしてもこれほどのニュースになっただろかということです。この研究とその結果を受け入れる社会は、同性愛者と異性愛者の間に根本的な差を発見し根拠付けたいという欲望に支えられているのではないでしょうか。この欲望があるかぎり、何かを根拠として同性愛者と異性愛者を振り分けていくでしょうね。
そして、大真面目に尿ですよ、尿!尿に含まれるフェロモンが普段の生活で影響があるんですか?出ないなら実験そのものの説得力がなくなると思うのですが。異性愛男性が普段フェロモンを嗅いでいないということになるんですから。あるとしたら、これまた・・・爆笑!
2005/05/13(金) 22:15:29 ・ K. (URL) - ・ [編集...]
異性愛男性と同性愛男性に差異が見つからなかった場合、もちろん、ニュースになったりはしません。一般に科学では「ネガティブ・データ」は価値を持たないのです。それだからといって、「同性愛者と異性愛者の間に根本的な差を発見し根拠付けたいという欲望に支えられている」とはいえないと思います。差異がなかったら「ああ、どっちも男だからな」といっておしまいです。
「ゲイとストレートではどちらも目が2つである」という共通点を報告してもなんの意味もありません。

匂いのもとについては、元々、尿から発見されたということですから、他のどこかから漂っていたりするんじゃないですか?w
2005/05/13(金) 23:54:11 ・ 玉野 (URL) SFo5/nok ・ [編集...]
▼ コメント・TB、
たくさんついててうれしい限りです☆

 なるほど「ネガティブ・データ」は価値を持たないのか。そうすると、同性愛者と異性愛者には生物学レベルの違いがあるはずだ、という仮説を疑わなくてはならないんでは?と思ってしまいます。そのような仮説を掲げている限り、ネガティブ・データもポジティブ・データも両方出てきそうな気がしてしまう(文系脳だ)。そういった意味で、そのような仮説を設定するに至った動機を、Kは「欲望」と呼んでいるのだろうと思うんですけどね。

 ともかく私が強調したいのは、こういうニュース(先天性を証明するのであれ、後天性のそれであれ)が出てきたときに、さらっと流せるような社会だったら、より生きやすいだろうなーという点なんですけどね。スキゾーさんのところにもコメントつけてきましたけども。
2005/05/15(日) 08:24:33 ・ (URL) yra9SvHk ・ [編集...]
▼ 研究者さん。
突然のコメント失礼します。
出てきた知識を誰がどのように使うのか、は完全に予測するのは不可能です。
なので、「同性愛/異性愛」として実験した結果、出てきた差異が同性愛差別に使われることも歴史を見れば、みなさんのおっしゃるとおり、一目瞭然です。
また同じく、スキゾーさんがおっしゃる通り、「フェロモン香水」や「自己の同性愛を受容するきっかけ」としての知識にだってなりえます。
つまり、「同性愛者」にとっての「良い」活用として、です。

やっぱり改めて問いたいのは、研究者がどのような考えでその研究を行ったか、です。

何を同性愛/異性愛とするのか、とても恣意的だと私は思っています。
性的欲望をそもそも一体どのようなことを性的欲望とするのか、その基準こそが社会的文化的なものであると私は思います。
人は、なにを「性的欲望」と認知するかが社会的なこととしてあり、そしてその次にその「性的欲望」とされるものを細かくカテゴリー化していく作用が次の社会的作用としてあるハズだと思っています。
握手したいという欲望がもしかしたら「性的欲望」としてその人の中でカウントされるかもしれないし、あの人を見てみたい、という欲望が「性的欲望」になるかもしれません。
何を性的欲望とするのか、そしてそれをどのようにラベリングするのかは、やはり社会的・文化的なものではないでしょうか。
このことは、性的欲望は性別を中心に湧き上がるもの、という多数の人々の印象を否定するものではありません。
逆にこうとも言えるのです。
現在の歴史的・文化的背景のもとでは、性的欲望は性別を基準にして起こるような仕組みが成り立っている、と。

この研究をした人々や、研究プロポーザルを受理した大学側の人々は、
これから行おうしている実験の影響をしっかり推測していたのでしょうか。
つまり、「同性愛/異性愛」のカテゴリーの新たな創出ということです。
結果、「性的欲望は性別を基準にして起こるような仕組み」を成り立たせていきます。

研究結果がどういう影響を及ぼすのかは、誰にも予言はできませんが、ある程度の推測はできます。
自分の研究がどのような影響を及ぼすのか、常に考え追求する責任が研究者にはあるのではないでしょうか。
彼らがそうした態度であったかどうかは直接聞くしかわかりません。
(っていうか、えらそーなことを言ってしまいました。)


しかし、構築主義的に考えると、もしかしたらこうした実験を一方で擁護できるかもしれません。
「性別を中心に据えた性的欲望」の文化的・時代的背景のもとでは、いまここに生きている人々の身体も同時に文化的・時代的背景に影響されている、と。
身体の変化(進化?)について私は詳しくないのですが、
300年前のアメリカ人の脳と現在のアメリカ人の脳では同性愛・異性愛による違いが生じているのかもしれません。
その可能性は否定できないと思います。
ただ、どの程度の文化的・時代的な思考や認識が脳に影響を与えるのかはよくわかりません。

と、長々と書いてきましたが、今までのことも(中途半端でも)勉強すれば言えることのような気も実はしちゃっています。

ところで自分が疑問に思ったのは、
性的指向がいろいろな社会的な影響を受けるのであれば、
生物学的な発見ってそもそも可能なんですか??ということ。
その生物学的な発見って、人類全体を指すんですか?
それとも例えば「アメリカ人」だけ通用します、とかなるんですか???
そもそも人間という種族の規定とかあるんですか?
その規定はDNAとかで決めるんですか・・??

フェロモンの結果は、ザンビア族の男色をする男の子たちにも通用する・・・?
う~ん。昔の能力の優秀さを証明するときに行った、白人/黒人の頭蓋骨の容量チェックのように、観念ありきの実験と同じようにやっぱり思えてしまいますね・・・。
2005/05/17(火) 19:25:18 ・ B. (URL) qbIq4rIg ・ [編集...]
▼ トラックバックありがとうございました
この度はトラックバックありがとうございました。また、自分のサイトを引用して頂いて、大変恐縮です。

素晴らしい文章力で今回の件をまとめていらっしゃって、大変勉強になりました。自分の文章では結構焦点がボケてしまっていましたが、ここでピックアップして頂いた引用を見ると違って見えますね。びっくり。

このような素晴らしいサイトがあるのを今まで知らなかったので、これからは時々拝見させて頂きますね。それでは、今後ともよろしくお願い致します。
2005/05/17(火) 23:05:15 ・ ねこたま (URL) RAa2TALo ・ [編集...]
玉野です。

研究者さんのコメントについて私見を書いてみます。まだ、思いつきの範囲を出ない稚拙な意見も多々混入していると思いますけれど、とりあえず社会構築主義にどこまで科学が対抗できるかを試してみたいな、と(笑)。敗北するかもしれませんが…(汗)。

>何を同性愛/異性愛とするのか、とても恣意的だと私は思っています。

ある程度の恣意性はあると思います。が、「私は同性愛者である」という確信の形成には、性的な欲望あるいは恋愛感情といったものが根底をなします。ということは、そういった感情が出現するということがなければカテゴライズ不可能なわけです。
 微に入り細に穿って、セクシュアリティを見ていけば見ていくほどそういった「ブレ」は見えてくるように思います。社会Aと社会Bでは、カクカクシカジカの点で同性愛の定義が違う、という例は発見可能なはずです。
 しかし、個々の人が異性愛者になったり同性愛者になったりするためには、どんな社会でも、その人の性的欲望がどちらの性別に向いているのかという感情を基礎に、その程度をどう分類するかというような差異になるのではないかと思います。
 社会構築主義的には、たとえばギリシャ時代とか、日本の江戸時代には同性愛差別はなかった、なぜならば同性愛というカテゴリー自体が成立していなかったからだというようなことをよく申し立てます。が、そういった時代でも、同性に性的な欲望を抱き、実際に同性間の性行為を行ったり、恋愛をした人がいたであろうことは推測するに難くありません。社会が構築しているのは、そのカテゴリーの方であって、感情そのものではないと思われます。江戸時代に、思春期などを除けば、多くの人の性的指向が性別を基礎に行われず、他の基準が中心になっていたというようなことが記録されているのでしょうか?
 そうした感情がどの程度、先天的な素因の影響を受け、どの程度後天的なものなのかということを実証しようとしているのが、現在の科学研究の焦点だと思います。

>300年前のアメリカ人の脳と現在のアメリカ人の脳では
>同性愛・異性愛による違いが生じているのかもしれません。
>その可能性は否定できないと思います。

安心してください。
高々300年程度で脳の構造が進化するというようなことは起こらない。進化論の勉強をしてください。とくに遺伝的浮動など進化理論ですね。
だいたいもし非常に適応的な同性愛遺伝子が変異によって生まれたとしても、それが広がっていくことを考えてみても、300年てのはせいぜい10世代程度ですから、それぞれの世代が平均3人の子どもを残したとしても6万人程度がその遺伝子を持っているに過ぎません。世界で6万人(笑)。その脳の変化が先天性の素因がある場合には、それで変わってしまうということはありません。
 あとは社会・文化的な変化が脳の興奮発生にどの程度影響するのかということですが、もし影響されるとしてもおそらく大脳の思考をつかさどる部分くらいじゃないでしょうか? 今回の実験では間脳視床下部といわれる部分で、社会的な変化を受けるような部分ではありません。
 
>性的指向がいろいろな社会的な影響を受けるのであれば

というのを前提になさっているようですが、今回の研究で焦点になっているのがまさにこの点なわけです。どの程度、社会的な影響を受け、どの程度先天的な素因によるものなのかということを実証しようとしているわけです。
 おっしゃるように、同性愛という現象が、完全に社会的な要因で起こるのであれば、それは脳のどこかに原因はありそうですが、非常に複雑な大脳皮質の機能ということになり、発見は難しいことになりそうです。でも、今回の研究ではそうでもなさそうだという結果です。
 もちろん、視床下部にもわれわれが知らなかったような可塑性がある可能性はおおいにあります。ですからルベイもいうとおり、それ自体では先天的な素因を考えるには証拠としては弱すぎます。しかし、同様の状況証拠がいろいろ積み重なってきているので、先天的な素因(社会に影響されない素因)が関与してそうだという可能性が高まってきたということですね。
 分類しカテゴリーを形成するのは人間です。したがってそれはartificial kindであるかもしれない。それがnatural kind(自然種)であるかどうかは、科学的な研究がデータを提出すると思います。
2005/05/18(水) 03:14:52 ・ 玉野 (URL) SFo5/nok ・ [編集...]
▼ 行き着くところは。。。
 今一度書いておきます。「目指すべきは、そのジェンダー/セクシュアリティが先天性だろうが後天性だろうが、その多様性を認める社会」です。そのために私たちは(社会構築主義や科学を通して)なにをすべきか/すべきでないかということにこだわりたいなぁと、私は思っています。

>玉野さん
 なんか社会構築主義vs.科学みたいになってきてしまっていますけれども。。。礼を失する表現がもしあったらご容赦くださいね。ネットではよくそういうトラブルがありますから。

> どんな社会でも、その人の性的欲望がどちらの性別に向いているのかと
> いう感情を基礎に、その程度をどう分類するかというような差異になる
> のではないかと思います。

 性的な欲望や恋愛感情が、生物学的な反応で出現することがなければ、そういった行動(ここでは「同性愛」的行動)をとることもなく、カテゴライズは不可能というのは、おそらくその通りだろうと思います。

 しかしそこでどうしても考えてしまうのは、「性別 sex」というカテゴリーもまた恣意的ではないか?ということでしょう(あぁやっぱりここに行き着くのね)。同性(男)/異性(女)と言ったときに、それはいったい何を指すのでしょうか?

 玉野さんは、トラックバック「生物学と性」で、
> 「男」か「女」というのは、共通領域を持たない分離したカテゴリーで
> あり、(インターセクシュアルというごく少数の人を除けば)全人類が
> どちらかのカテゴリに属する性質です。
と書かれていますが、どこでハッキリと「分離」されているのか、ぜひぜひ聞いてみたいです。

>ねこたまさん
 どもです。こちらこそ突然トラックバック&引用させていただいて恐縮です。これからもよろしくお願いいたしますです♪
2005/05/18(水) 08:35:30 ・ (URL) yra9SvHk ・ [編集...]
▼ 玉野さま。
詳しいコメントと、身体の進化についてのご説明、どうもありがとうございました。

私の意見は「ゆ」さんと似ています。
>分類しカテゴリーを形成するのは人間です。
とあれば、「男/女」「オス/メス」という見方自体が、人間の言語の産物であると思います。
なので、「同性に性的に惹かれる」という感情も、男/女カテゴリーを基に成り立つ事柄です。
そうであれば、男女カテゴリーが強力に緻密に構成された社会であればあるほど、
「同性愛」感情を持つ人が増える、かもしれません。
(「同性愛感情」とは具体的に何を指すのかはやはりピンときませんが。なぜなら「男」「女」が実際に何を指すのかがいまいちわからないからです)。

ただ、まぁだとしても、現在生きている人々に、そうした知識なり考えをどのようにして適用できるのか、は改めて考えなくてはいけない問題だと思います。
私は、こうした考えを持っているがゆえに、フェロモン研究した人たちの意識や考えや責任について、
今一度問うてみたい、と思って前回コメントした次第です。

ちなみに「研究者さん」はタイトルでした。ややこしくてすみません。
2005/05/19(木) 00:24:51 ・ B. (URL) qbIq4rIg ・ [編集...]
>「男/女」「オス/メス」という見方自体が、
>人間の言語の産物であると思います。

こういう区別にどの程度、根拠があるのかを提出する手段として科学もあるわけです。Natural Kindであるかどうかを調べようというわけですね。

で、完全に二分されるわけではないにしろ(染色体でみるにしろ、遺伝子でみるにしろそれぞれの典型からはずれている人というのは発見できます)、「大雑把にみると」どちらかに分類できる。
また、恋愛の場面で、相手の性別を気にする人というのは多いですから、見た目なり、なんなりの手段で同性/異性を見分けていることは間違いありません。たしかにそれは必ずしも生物学的な性と一致しない場合もあるでしょう。しかし、バイセクシュアルで性別は問わない、他の基準が恋愛の根拠になるという少数の人を除けば、かなりの人が自分が同性愛者である、異性愛者であるという確信を持ちます。まあ、便宜上、性別は関係ないという人はバイセクシュアルであるという確信を持つ。

で、構築主義がどんなに一生懸命その区分は不十分であるということを唱えても、一般人は「男女」の区分を捨てません。それは構築主義にしろ科学にしろ、二つの性に収斂しない現象が実際に起こっているという「事実」を挙げても変わらないわけです。
 どうして人々はこのような確信を固持し続けるのか? その確信成立の根拠を説明しなければならないのではないでしょうか?

 
2005/05/19(木) 02:33:10 ・ 玉野 (URL) SFo5/nok ・ [編集...]
▼ 仕組みを。
>構築主義がどんなに一生懸命その区分は不十分であるということを唱えても、一般人は「男女」の区分を捨てません。それは構築主義にしろ科学にしろ、二つの性に収斂しない現象が実際に起こっているという「事実」を挙げても変わらないわけです。
>どうして人々はこのような確信を固持し続けるのか? その確信成立の根拠を説明しなければならないのではないでしょうか?

構築主義についてまだ把握しきれているわけではありませんが、
構築主義は例外や区別が不十分ということだけを提示したわけではなく、むしろ、確信成立を作る社会の仕組み全体を明らかにしたのではないでしょうか。
社会構築主義の立場を取る人々は、個々人のリアリティを突き詰めた結果、男女カテゴリーの成り立ち/再生の仕組みを明らかにしたと思います。
そうした社会に生れ落ちた人々(生まれる前からも男女という枠組みによって識別される)は、ありとあらゆることやモノやコミュニケーションを日々無限大に受けており、そして同時にかつ反対に、新たに同じ仕組みを再生/コピーしていく存在です。
この仕組みを明らかにすることは、個々人のリアリティを否定するものではありません。
逆にリアリティを含めた考え方です。
私が初めに言いたかったのは、こうした仕組みにいる人間全員がその仕組みから逃れることはまず無理であり、影響を受けているということであれば、
研究者自体も同様であり、仕組みから逃れた客観的な存在ではありえないということ、そして新たに仕組みを再生産をしていく存在だということです。
つまり、同性愛/異性愛、男/女というカテゴリーを使っていくことによって、新たにそのカテゴリーを再生産していきます。
そうであるならば、プロとして、研究者はそうした仕組みを新たに創出しているという自覚を持つことは、
権威ある立場にいる者として責任があるのではないでしょうか。
これは、カテゴリーを使うな、ということではなく、 意識するかしないか、責任の問題です。
構築主義・科学を超えて、私が問いたかったのはここです。
2005/05/19(木) 21:36:47 ・ B. (URL) qbIq4rIg ・ [編集...]
▼ Bさんの問題構成に対して横レスです
どうもすいません。横レスです。Bさんの書かれたことについて。
同性愛/異性愛、男/女というカテゴリーの外に超越的な立場として立てる特権的な人がどこにいるのだろうか?というのがまず疑問です。

 また、科学も人によって作られていくものです。その科学の恣意性を批判されるのは結構なことだと思います。ただ、Bさんの批判はカテゴリーを再生産することが悪であることを前提されています。そうした批判をなされるなら、どれだけの正当性をその批判が持っているのかの根拠付けをまずする必要があるでしょう。

 私としてはBさんの批判が持つ抑圧的な効果は言及できます。それは。はからずもBさんが書かれています。

 同性愛で苦しんでいる人が「自己の同性愛を受容するきっかけ」を科学によって得ること自体もBさんの言説は掘り崩してしまうことになります。自分の言説が逆説的に抑圧的な効果を持ってしまうのではないかという責任が言説生産者としてあるのではないのでしょうかと科学者に対して向けられたBさんの言葉がそのまま返されることになります。

 もっともこうしたことでむやみに対立すると、何を信じるかという神学論争になります。

 私達は何に対して確信が成立するのかその根拠を科学が補強することが本当にいけないことなのでしょうか?それを問い直すこと自体が本当に必要なのかどうか僕には疑問です。少なくとも、そうしたメタゲームは僕のように同性愛という生に対して強度を得ている人にとっては無用です。
2005/06/02(木) 00:39:08 ・ スキゾー (URL) sSHoJftA ・ [編集...]
▼ こんにちは。
スキゾーさま。

ざっと見たかぎりでは、私が書いたことと、同じ考えだと思います。
私が言いたかったのは、研究は強い影響を与える政治的活動である、ということを研究者は知るべきだ、ということです。

>同性愛/異性愛、男/女というカテゴリーの外に超越的な立場として立てる特権的な人がどこにいるのだろうか?というのがまず疑問です。

ですが、私も同じ考えです。
>>こうした仕組みにいる人間全員がその仕組みから逃れることはまず無理であり、影響を受けているということであれば
と前に私が書いた通り、誰もそうした言語外にいることは不可能です。
すべての人はそうした言語内にいて、同性愛/異性愛、男/女カテゴリーによる影響をしっかりと受けていると思います。

>Bさんの批判はカテゴリーを再生産することが悪であることを前提されています。

書き方がいけなかったのかもしれませんが、
私は決してそうであるとは思っていません。
同性愛/異性愛や男/女というカテゴリーを今すぐ棄却できる、とは考えていません。再生産されるのは当然です。
そこに再生産自体に善悪があるとは考えてません。
しかし、路上で二人が男/女カテゴリーを創出しているのと、
国や社会上の権威を受けた機関が男/女カテゴリーを出すのでは、
その影響力の違いがあるのは当然だと思います。
もちろん後者の方が強力でしょう。
なぜなら、そこには権力の差があるからです。
だからこそ、科学者はそうした権力を持っているというポジションを認知した上で、
あれこれ考えたりしながら政治的決断を行ってほしーなぁ、と言うのが私の意見でした。

>自分の言説が逆説的に抑圧的な効果を持ってしまうのではないかという責任が言説生産者としてあるのではないのでしょうかと科学者に対して向けられたBさんの言葉がそのまま返されることになります。

考えろ、ということが、逆に科学者が「それ」の研究に物怖じしてしまうということでしょうか。
しかし、私はあえて思うのですが、研究とは誰かに強い影響を与える政治的な活動です。
当然そうした活動に対して、研究者は政治的活動をしているという認識と、
その活動の社会的位置や影響について勉強して考えながら、
結果的に自分の政治的立場を定めて研究を行ってほしい、と思うのです。

>同性愛で苦しんでいる人が「自己の同性愛を受容するきっかけ」を失う
どのような影響が起きるのかを勉強したり考えたりしたあと、
それでもそうした実験が、「自己の同性愛を受容するきっかけ」として絶対に必要であるとその科学者が認知したのであれば、
それはそれでやればいいのです。
私は、何かする直前に「考える」「勉強する」という行動パターンを持ってほしいのです。

>私達は何に対して確信が成立するのかその根拠を科学が補強することが本当にいけないことなのでしょうか?

どのように解釈するかはその人に任されています。
なので、その科学が補強するか、もしくは抑圧するかは、受け取る人々に任されています。
しかし、抑圧される人々がいるとしたら、科学者はそうした現実を知るべきであると思います。
そして、改めて政治的立場を定め研究を行ってください、という感じです。
2005/06/02(木) 22:29:47 ・ B. (URL) qbIq4rIg ・ [編集...]
 自分の書き込みを改めて見たら、結構キツい物言いになってました。もし気を悪くされたら申し訳ありません。>Bさん

 どのような形で抑圧されるのが予測されるのか科学者に対して要請するのはかなり酷なことではないでしょうか?一人の人間が認識できることには限界があります。

 社会的に不透明性でリスクを孕む問題だということになると、この問題は手を出してはいけないとタブー化がなされることになります。

 一つの真理を発見する仕事として研究することの自由か、未然のリスクを防御するために研究を禁欲することか、どちらがいいのかはその都度の判断でしか決められません。

 真剣に議論すればどのように公共性を作って倫理を定めていけばよいのかのガイドライン作りになりそうです。でも、正直言って今の社会状況を見ているとそこまで深刻に倫理を取り沙汰さないといけないようには思えないんですよねぇ。
2005/06/03(金) 18:47:50 ・ スキゾー (URL) sSHoJftA ・ [編集...]
▼ 勉強になります!
スキゾーさんとBさんの議論はとても面白くて参考になります。ここで、二人に質問したいのですが・・・

スキゾーさんは、
>一つの真理を発見する仕事として研究することの自由か、未然のリスクを防御するために研究を禁欲することか
というように述べており、一方では研究を真理を生み出すものとして置き、その倫理性を問うことをリスクを回避するための禁欲として位置づけています。このように述べるのは、スキゾーさんは科学的な研究や知識を社会から超越した特権的なものとして扱っているのではないでしょうか?知への奉仕をなぜそんなに神聖視するのですか?科学も社会の中で行われるのであり、やはり最低限の倫理に束縛されえるべきではないかと私は思います。(何が最低限であるかは議論と歴史によって決められるでしょう)そして、現実に科学も倫理によって判断されるように進んできたと思います。

Bさんへの質問ですが、Bさんの発言を読んでいると、もちろん全ての人が政治的なものに対して責任を持つのでしょうが、しかし、Bさんも強調しているように「研究とは誰かに強い影響を与える政治的な活動です」と、科学者に対して特に大きな責任を認めています。しかし、このように科学者の責任を強調してしまうことによって、逆に科学が現在持つ権威と「真理性」を強化してしまうのではないでしょうか?

今回の研究を例に取ると、ゆ@シンポシオンさんが述べるように、、性的対象のフェロモンに脳が反応しているだけであり、考え方によっては特に驚くべきものではありません。むしろ敏感に反応しなければならないのは、「同性愛者の脳反応が女性と同じだった」というような報道がされたことであり、男性同性愛を「女性化」とも取れるように解釈されたこと、そして、同性愛を先天(生物学)的なものとして扱えることを可能としたことです。このような解釈の背景には、男性同性愛を「男性の女性化」として扱った精神医学や同性愛を遺伝性の病気だと位置づけた優生学の歴史、異性愛が当然、もしくは正常と考えるような社会の異性愛主義があります。このような視点に立てば、今回の科学の実験結果よりも、その結果の解釈のほうが大きな政治的意味があります。科学の政治性ばかり問うことは、科学の権威を高めるばかりか、結果の解釈の恣意性を不問に付してしまう可能性があるのではないでしょうか?

スキゾーさん、Bさんへの質問は、私が勉強不足のために見当違いのものになったかもしれませんが、疑問に思ったので書かせていただきました。
どう思いますか?
2005/06/04(土) 00:26:48 ・ K. (URL) - ・ [編集...]
Kさん
>スキゾーさんは科学的な研究や知識を社会から超越した特権的なものとして扱っているのではないでしょうか?知への奉仕をなぜそんなに神聖視するのですか?

 いえ、全然そんなことは思ってませんよ。科学も人間によって作り出される社会システムの一つに過ぎません。ただ、そこで生み出されるのは、変えることが難しい「ほんとう」のことであるという意味で真理と言ってます。政治的に粉飾されていなくても、「ほんとう」であると納得させるだけの効果を持つという意味で真理と言ってます。政治的な効果や恣意とは別レベルの話です。

 ただ、その「ほんとう」を追求する営みが「わるい」ことなのかどうかは人によって意見が分かれるところです。僕自身は、反対する人たちは、男/女、同性愛/異性愛の区分をはっきりさせる研究を「わるい」こととし、あいまいにする研究を「よい」こととする価値判断が混入しているように見えます。

 絶対そうだとは言えるものではありません。しかし、そうした傾向は性から生きる意味を受け取っている僕からすると、生きる意味を奪われるように見えて気がかりに思えてしまいます。

 最低限の倫理については、倫理って何?というところから考えなければいけないです。何らかの基礎付けがなされた上で定めていくものだけれど、それにはコストがかかるし、同性愛をタブー視する人たちや潜在的に「よくない」と思っているけれども黙っている人たちをも巻き込んでルールを作り上げるとなると、かなり気が滅入る仕事になりそうです。僕はそれが今後来るトラブルのためには避けられない仕事で今から緊急にしなければいけないことだとは思えないです。
2005/06/04(土) 11:15:48 ・ スキゾー (URL) - ・ [編集...]
▼ フロンティアの仕事として
あ、ちょっとすいません。
 前言撤回するようですが、一から始めないとダメな仕事だと思うから気が滅入るように見えてしまっていました。生命倫理の分野だったり、ルベイの仕事なりで、いろいろと知識の蓄積があるだろうから、そこを指針にしていけば何らかの方向性は見出せるかもしれないです。

 僕としては、性的マイノリティと科学の研究は、人間存在とは何なのかという謎に対する一つの示唆をもたらすことのできる研究だし、やることに対しては基本的に推進の立場です。(もちろん社会状況いかんに関わります)

 でも、進めていく上でのリスクも予測されます。不安に思う人達もいると出てくることだと思います。そういった不安を吸収するためにも、倫理を考える仕事は今後のフロンティアとなると思います。

 この分野のトップは今のところ玉野さんですが、性的マイノリティと科学との関係について、よりよく取り持つことができたり、新たな研究を構想できたりする人が出てくるようになればいいと僕自身は考えています。

 とは言ってもこうした科学研究は基本的に金にならない基礎研究だしスポンサーがつかない限り進めるのは難しいと思いますが。
2005/06/04(土) 20:39:51 ・ スキゾー (URL) sSHoJftA ・ [編集...]
▼ お二人にレスデス。
スキゾーさま。

> 自分の書き込みを改めて見たら、結構キツい物言いになってました。

そんなことないです。大丈夫ですヨ。

>どのような形で抑圧されるのが予測されるのか科学者に対して要請するのはかなり酷なことではないでしょうか?一人の人間が認識できることには限界があります。

もちろん、そうです。
一人が知りうることには限りがあります。
けれど、物事はAll or Nothingではないと思います。
ある程度は想定できるはずです。
だからこそ、批判することが重要であり、人々は「批判」するのだと思います。
いろいろな読みがあると思いますが、一般的に言って、
「批判する」という行為には、次に何かする際にその点に気をつけてほしい、と伝える意図が含まれています。
つまり、批判内容とは次の行動の指針、となります。
そしてアメリカの時代背景を考えるに、その「批判」を社会構築主義のレズビアン/ゲイスタディーズ・クィアセオリーがやってきたのではないか。
その批判をこの研究者たちは聞いたのか、聞いていないのか。
聞いたのなら、どういう理由でそうした実験を行ったのか、その政治性はなんだったのか、と私は気になるし、
聞いていなかったのなら、どうして声は届かなかったのか、または聞かなかったのか、アメリカの学問上のシステムや政治の問題が見えてくるかもしれません。
特に、そうした実験が日本で報道されるということは、私たち日本に住んでいる人々も、アメリカ学問上のシステムや政治と関わっていることを指します。
そうなってくると、(ちょっとは)気になってくるわけですね。

もちろんここでいうスタディーズは90年代の、と追記しておいた方が無難ですし、批判にはしばしば怨根のような感情発散の意図もあります。
そして、日本で報道される、というのには、K.さんが述べているように、報道機関の政治そのものでもあります(しかし、私は報道と研究者は別の論点だと思います)。

どのように人々に「それ」を解釈していくのか、はコントロールできません。
なので、前に「何かする直前に「考える」「勉強する」という行動パターンを持ってほしいのです」、と述べたように、
研究者は知ろうとする態度や考えを持ってほしい、と思います。
そのことは、自分の政治性を認知している証拠にもなるし、改めてその研究者にとっての政治的位置を定めるのに役立ちます。

そうでないと、必死に出してきた批判は一体なんだったのん・・・?と、
がんばってきた人たちは、空振りするような気になってしまうんじゃないか、と思うのです。

>社会的に不透明性でリスクを孕む問題だということになると、この問題は手を出してはいけないとタブー化がなされることになります。

についてなのですが、ごめんなさい。
「社会的に不透明性でリスクを孕む問題」というのは、具体的にどういうことですか??
「社会的に不透明性」、というのが特に分からないのですが・・・。
ということで、その後の文章からK.さんとのやりとりまで、私の脳はついてってませんので笑、なんともいえません・・・。
ごめんなさい。

K.さま。

>このように科学者の責任を強調してしまうことによって、逆に科学が現在持つ権威と「真理性」を強化してしまうのではないでしょうか?

強調というのは、報道性について言及しないで、科学者の責任ばかり言及している部分のことでしょうか。
私も同様に報道の問題は大きいと思います。
一番最初に言及したとおり、別の記事で述べたK.さんを含め、みなさんは報道についての危険性を指摘していたので、
私はそれに加えて、その科学者たちについての疑問を書いてみた、という感じです。
長々書いてきたので、科学者の政治性しか着目してないような印象を与えてしまったかもしれませんが、
報道・解釈の問題が頭から離れたわけではまったくないです。
2005/06/06(月) 21:21:17 ・ B. (URL) qbIq4rIg ・ [編集...]
▼ レスとアメリカ事情についての余談です
>社会的に不透明性でリスクを孕む問題

 科学者としても一人の人間なので、認知できる範囲には限界があります。どういう効果が自分の研究によって波及するのかは身近にメディアで接触できる範囲の情報に強く影響されることになります。
 で、今だと社会的に性的指向の科学の研究に対して肯定的に受け止める言説は少なくとも社会学のフィールドからはほとんど出ていません。また、研究に対する資金的なサポートも得られていません。

 だったら、科学者として限られたエネルギーや資金などの資源をどのように使うかと考えたら性的指向にかかる研究以外をテーマに選ぶことになるでしょう。できる可能性のある環境にある人でも、こうしたテーマに関して過度の政治的な自主規制が働きかけられてしまう結果として、ただでさえ貧しい性的指向と科学に対する研究がますます貧しくなってしまうことを僕は懸念しています。

 余談ですが、アメリカは、お互いの権利を互いに主張しあう国なので、食うか食われるかという状況で生きています。なので、ゲイ・アイデンティティがお国柄として強いです。アイデンティティが強い結果として、異質な他者に対して冷淡になったり、自分の中の多元性(両性愛的傾向など)を認められなかったりする弊害があります。
 その結果として、アイデンティティの懐疑を前面に出す社会構築主義がアメリカのジェンダー論という文脈で出てきたのだと想像すると、ひとまず納得が得られます。(間違えているかもしれません)
2005/06/07(火) 21:33:51 ・ スキゾー (URL) sSHoJftA ・ [編集...]
>強調というのは、報道性について言及しないで、科学者の責任ばかり言及している部分のことでしょうか。
いえ、私が問いたかったのはもっと根本的なことです。いくら科学が様々な主観に左右されない「そのまま」の物事を扱うとはいえ、「そのまま」の物事を科学者が認識し意味を与えるときには、科学者たちの解釈に依存します。しかし、社会の中では科学の「客観性」が権威を持ち、評価されています。そのように科学者の権力は社会との関係の中で作り出されているのに、科学に権威を見出す社会の言及なしに科学者の政治性ばかり問うのは、科学の客観性や固定性をB.さんは当然視しており、社会と科学を切り離して考えているのではないでしょうか?社会と科学は相互依存的な関係を築いており、単に社会的影響は報道ばかりでなく、科学者の問題設定やその結果を判断する人々がどのように解釈するかにも深く関わっていると思います。このような考えは、B.さんの前の記述に見られたのですが、科学者の権威性を私よりも固定的に考えているような気がしたので質問してみました。

>スキゾーさん
私もLGBITの中でアイデンティティを得ていくことは、大切なことだと思います。特に政治的に大きな不利益を受け続けている時代では。しかし、そのようなアイデンティティは科学的な事実性によって裏付けられなければならないのでしょうか?フェミニズムは「ただ女性であること」だけでは、アイデンティティを得ることができませんでした。私にはマイノリティのアイデンティティ形成に科学が貢献できることは少ないと思えるのですが。マイノリティのアイデンティティは共通する経験や共通の利害関係の中で作り出していくものではないかと思います。
2005/06/08(水) 09:45:50 ・ K. (URL) - ・ [編集...]
▼ 長いです。すみません。
スギゾーさま。

勝手にまとめと推測をしてしまいますが(失礼)、
「生物学的な根拠」をゲイ・アイデンティティの核としている人がいるし、
それによってこれからもそうしていく人々がいるだろうと推測するのに、
その根拠を提供する研究がなくなっていくことに対する懸念、つまりアイデンティティ供給の問題と、
政治上で同性愛を生物学的な理由で非難してくる人たちがいるのに、
それに正面からぶつかる対抗イデオロギーが作り出せない、という問題が二つ分けられるように思います。
もちろんはっきりとは分けられませんが。
(スギゾーさんのおっしゃっていることと関係ないかもしれません。すみません。独り言と思って流してもらってかまいません)。

後者の問題で、社会構築主義は、同性愛を生物学的な理由で非難してくる対抗イデオロギーとしてあると思うのですが、
そのアプローチは「生物学的根拠」に比べると単純ではないかもしれません。
たとえば、脳に異常があるから同性愛になるんだ、に対し、同性愛的傾向は誰の脳にもあるんだ、という研究結果があった方が、単純かつインパクトを持ちそうです。
正面からぶつかることのできる(語弊がある言い方かもしれません)「生物学的根拠」を、
逆にその論の土台に着目し、そもそもその差別理由(生物学的根拠自体)がおかしいんだ、というのが社会構築主義であり、
真正面からぶつかる(⇔)というよりも、⇔の前提自体を問います。
そして、生物学的根拠とは社会構築的なものなんだ、と言うんですね。
そうした理由もあり、社会構築主義の洗礼を受けた社会学のフィールドは、「生物学的根拠」を肯定する言説を出さないのかもしれません。
しかし、だからといって、生物学的根拠でもって差別してくる人たちや政治的な動きがなくなるわけではないですよね。
次々出てきます(とはいっても現状調査しないとわからないけど)。
となると、社会構築主義のアプローチによる対抗イデオロギーは、実際の論上でインパクトに欠けてしまい、
生物学的根拠による差別派がもしその考えを理解できなかったら・・・バカだと笑ってなんかいられません。
もしかすると、余計にのさばってしまうだけかもしれません。
と、なると、生物学的根拠による対抗イデオロギーの方が分かりやすい、かつ効果が大きいと言えるのかもしれません。
すなわち、生物学的根拠を求めるのは必要だ、と。

前者に戻りますが、アイデンティティの場合、
(K.さんが指摘しているのとかぶりますので参考にさせて頂きますが)必ずしもアイデンティティを生物学的なものに根拠をもつ必要がないという意見があります。
確かに、クローゼットにいる同性愛者が自分の性的指向で苦しんでいるときに、必ずしも生物学的根拠に求める必要があるわけではなく、いろいろなサポートの言説は作れるはずで、実際そうした多様な言説が出回っています。日本で。
しかし、その中でも、苦しんでいる理由が「生物学的におかしいから」で、それが主要である場合、
「生物学的に同性愛はふつーです」という「科学的根拠」でもって、苦しみから解放される人がいるのも事実です。
「生物学的根拠」で悩んでいる人に対し、
「生物学的根拠」によるヘルプの言説がなくなった場合、
社会構築主義的な考えやほかの考え、もしくはK.さんが言う社会関係でもって苦しみを解消していくかもしれません。
しかし、その考えや関係に至るまで、その人の苦しみは続きます。
そう考えると、アイデンティティ供給のために絶対必要と言わないまでも、あった方が良い、かもしれません。

ただ、そうなるとまた問題が生じてきます。
そうした「生物学的根拠」は、新たな排除や不具合を感じる人を生み出します。
自分の性的指向なんかは決定したくないし、されたくない、と。
そうなると、社会構築主義でもって「生物学的根拠」を生み出すもとをどーしても批判したくなってしまうし、
理論的に崩されているのにどーしても納得いかない、という風に思っていまうのです。
でもそのことは、生物学的根拠でおかしいと言ってくる人々の存在や、そのことで悩んでいる人々の存在への想像が欠けてしまうことにつながってしまうかもしれません。
(自分の経験から、ですが)。

最も、どうしてこうなってしまうのかと言えば、
生物学的根拠とかでセクシュアル・マイノリティーズの存在を非難してくる人たちがいるということや、その社会状況に原因があるのは確かです。
そして、どのように性を解釈するのか、多様に開けていることは、
逆にこうした利害の不一致が生じる原因になっているようですね。
もちろん、多様に開けていることは否定すべきことではまったくないですが。

なので、生物学的根拠に悩む人や、性的指向にある種の普遍性を刻むことに悩む人たちの利害を、どういう風にクリアしていくのか、いけるのか、という理論的な問題と、
それと同時に、日本の社会状況とグローバリゼーションの動向を逐一チェックしていくこと、その両方が重要な問題なのかもしれません。

K.さま

>科学に権威を見出す社会の言及なしに科学者の政治性ばかり問うのは、科学の客観性や固定性をB.さんは当然視しており、社会と科学を切り離して考えているのではないでしょうか?

私は「研究者」という社会的役割・位置を前提にして、言及していたつもりでした。
その位置はもちろん社会の中での関係性によって作られるものです。
その位置についている人個人は、こういう風に考える責任はあるんじゃないか、なぜなら、社会関係の中で作られた、権力のもつ位置に立っているんだから、という意味で書いてました。
2005/06/08(水) 15:13:25 ・ B. (URL) qbIq4rIg ・ [編集...]
▼ アツいですね!
 それにしてもこんなにアツい議論になるとは思いませんでしたよ。以下、少しだけ補足的なコメントをしたいと思います。

> スキゾーさん
> ただ、その「ほんとう」を追求する営みが「わるい」ことなのか
> どうかは人によって意見が分かれるところです。
> 僕自身は、反対する人たちは、男/女、同性愛/異性愛の区分を
> はっきりさせる研究を「わるい」こととし、あいまいにする研究を
> 「よい」こととする価値判断が混入しているように見えます。

 確かにその通りかもしれませんね。でも逆に科学の「ほんとう」の追求という営みには、区分をハッキリさせることを「よい」こととする価値判断(これを欲望と呼んでいますが)を前提としていることは否定できないのではないでしょうか。

 むろん、どちらが「よい」かは文脈によって適宜判断するよりないと思います。すなわち、科学の「ほんとう」の追求がもたらしてきた成果を軽視するものではありませんが、その弊害を見つめるべきです。


> B.さん
> 「生物学的に同性愛はふつーです」という「科学的根拠」でもって、
> 苦しみから解放される人がいるのも事実です。

 たとえ生物学的に異常だと批判する人・社会がその苦しみの原因だとしても、確かにそうでしょうね。でもこれを今回のフェロモン研究について当てはめるならば、「同性愛は先天的原因がある」ということを示すもの(として解釈されているもの)であり、これまでの「生物学レベル・先天的レベルでは同性愛者と異性愛者は違いがない」という科学的言説への反証的意味をも持ち得ます。そういう意味では、「生物学的におかしいから」という苦しみの理由を強化するもの以外のなにものでもないかもしれませんね。(今回の結果を「同性愛は普遍である・おかしくない」と解釈するには、もう一段階の証明を要求するでしょう)

 もちろん「同性愛は各個人が選択した、異常な趣味嗜好だ」などといった、パーソナリティに対する攻撃への反証にはなり得ますし、本文で指摘した「先天性の抗弁」としての利用価値(ただし非常に脆い)もありますが。

 で、結局は、K.さんの言う次の2点が重要であると、ワタクシは思いますね。

●セクシュアルマイノリティーズの権利擁護にとって、アイデンティティは必要不可欠だが、科学によって裏付けられる必然はない。

●研究者が自らの政治性を自覚する(あるいは、私たちが批判を通して自覚させる)ことはもちろん、より根本的に、解釈する側=社会=私たちが科学の権力を再生産をしているという自覚が必要。

 。。。なんかいい子ちゃんのコメントになってますかね(汗)
2005/06/08(水) 17:35:56 ・ ゆ@シンポシオン (URL) yra9SvHk ・ [編集...]
▼ もう少し核心に迫ってみる(冒険)
 続けてカキコ。

> B.さん
> 生物学的根拠に悩む人や、性的指向にある種の普遍性を刻むこと
> に悩む人たちの利害を、どういう風にクリアしていくのか、
> いけるのか、という理論的な問題

 これは結局のところK.さんの言う、

> マイノリティのアイデンティティは共通する経験や
> 共通の利害関係の中で作り出していくものではないか

 というところに帰着するのではないかと思います。つまり「生物学的根拠に悩む人」と、「性的指向にある種の普遍性を刻むことに悩む人」の間には、ここでいう「アイデンティティ」の相違が見られるということです。

 どのようにクリアするのか、すなわち、前者後者を横断する「アイデンティティ」をどのように形成するのかは、ある意味簡単です。共通の経験と利害に注目すればいいのです(フェミニズムにおける女たちの分断は、共通の経験・利害を失ったためにおこったと考えると、言葉で言うほど容易ではないでしょうけれども)。今後の課題は、その共通する経験・利害の追求にあるでしょう。

 それでは、セクシュアル・マイノリティーズにとっての共通する経験・利害はなんでしょう? セクシュアル・マイノリティーズのアイデンティティって何?? 私の現段階のマクロな答えは、強制異性愛主義に基礎づけられた性別二元制による差別への反対、ということになるかな(もちろんミクロな共通性は山のようにあるでしょうけどね)。きゃーラディカル♪ みなさまはどうお考えでしょう?
2005/06/08(水) 19:44:28 ・ ゆ@シンポシオン (URL) yra9SvHk ・ [編集...]
こんばんは。ICU生です。今日初めてこの団体の存在を知りました。学生自ら立ち上がった意思に尊敬します。  ただ、いくつか疑問がありましたので、質問させてください。 「相談窓口」のところに、「講師がlgbitについての差別用語を言っていたなどの情報」とは、どのような意味ですか? 密告ってことですか? その情報をこの団体は一体何にどう活かすのですか? 私は、この部分にすこし不快感を覚えました。 突然、こんなコメントですみません。 
2005/06/08(水) 23:47:45 ・ M (URL) - ・ [編集...]
▼ こんばんは
 どうもはじめまして、Mさん。

 ご指摘の件について、「密告」という言葉をどのような意図でお使いかはわかりませんが、少なくとも、現在のセクシュアル・マイノリティーズの置かれている状況は、当事者やその代弁者に堂々と意見を主張させることを難しいものとしています(「シンポシオンについて」にも書いてある通りです)。

 というのも、授業中に差別発言をされたセクシュアル・マイノリティーズ当事者はどのように感じることでしょう。授業中に声をあげることは、LGBIT当事者であるとカミングアウトすること(ないし、そう疑われること)をしばしば意味するため、その発言に対して意見を言ったり反対の声をあげたりすることは不可能に近いと言えます(それに加えてこの状況の場合、講師と学生という権力差もあるでしょう)。

 そこで私たちは、以下の2点の観点から、ご指摘の内容を相談内容の一例としてあげています(相談者の秘密は厳守いたします)。第一には、当事者の立場から、その被害を受けた当事者の「相談」に乗るために(セクシュアル・マイノリティーズ当事者の中には、そのような相談をする人脈を持たない人も少なからずいます)。第二には、その当事者の希望いかんによっては(この点は重要だと思います)、当事者の代弁者としてその差別発言の真意を問い、謝罪と訂正を求めるために、本校の人権委員会への申し立て等を含んだアクションを起こすため。

 (なお、一応ここのコメント欄はこのニュースに関するもののみになります。ニュース本文と関係ないコメント・質問等はメールでしていただきたいのですが、今回はメールアドレスの記載もないようですし、ここに答えさせていただきました。)
2005/06/09(木) 03:09:39 ・ ゆ@シンポシオン (URL) yra9SvHk ・ [編集...]
▼ 教えていただきたいんですが・・・・・
こんばんは、よろしくお願いいたします。一説によると同性愛の男性は異性愛男性と比較し芸術的な脳を持ち音楽や絵画などに実力を発揮するといい、したがってピアノや吹奏楽、絵を描くといったことを好む場合が統計学上多いと聞いたことがありますし、文系ではなくいっぽうスポーツの分野ではバレエ、ジャズダンスその他ダンス系に比較的多いと聞きました。それはなぜなのでしょうか。そしてスポーツ系でも野球、サッカー、バスケなどの球技系には比較的少ないのでしょうか。これらの僕の疑問を聞いてください。ちなみに僕は異性愛でも同性愛でもない性関係をあまり持ちたくない人ですが、スポーツは球技が非常に苦手で、ジャズダンスなどダンス系が得意です。それは音楽が好きでその影響がスポーツに反映されたからです。
2005/07/24(日) 21:42:32 ・ MAYUKI (URL) - ・ [編集...]
▼ 実際はどうなんでしょう・・・?
いろいろな理由があると思います・・・。
個人的にいくつかだけ意見してみます。
このことについて、正しいかどうかはわかりませんし、人それぞれいろんな意見を持っているのではないか、と思います。

まず、同性愛者と言っても、「同性愛者」であると自認している人から、同性と性的行為はするけど「同性愛者」として自認はしていない人まで、いろんな人がいます。
なので、純粋な「同性愛者の統計」というのは疑問があります。
実際にその結果が統計上、正しいのかどうか、引いては「現実を正しく」表しているのかどうかは注意する必要があると思います。

それでも、話や噂でそう言われることがあります。
もしかしたら、単にそういった方面にいる人々は、カミングアウトがしやすいだけかもしれません。
カミングアウトをする人が多ければ、ゲイが多い、みたいな噂やステレオタイプ化になっていくのではないでしょうか。

あとは男性同性愛=女性化みたいな社会の情報を受けて、女性的と言われるようなコト・モノを好きになっていくとか・・・(この辺の解釈は留保が必要ですが)。

なんだかんだいって、私自身、同性愛者/異性愛者だから、コレが好き/得意、と言えるのかどうか、よく分かりません。
傾向としてある!と言えるのかどうかもよく分かりません。
理由は上に挙げた通りです。

私が知っている限りでは、いろいろな人がいます。
球技が得意だったり、芸術に疎い男性同性愛者はたくさんいます。
なので、そういう風に言われてはいるけれど、自分はマユツバな感じで受け取っています。
実際、MAYUKIさんと同じように、性が直結した理由ではなく、他のいろいろな趣味や興味があり、それによって各々の得意不得意な事柄や、興味関心が変わってくるのでは?というのが私の意見です。
あくまで1学生としての意見、ですが・・・。
2005/07/25(月) 10:32:31 ・ B. (URL) qbIq4rIg ・ [編集...]
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ICUのセクシュアルマイノリティサークル”シンポシオン”の ゆ さんから、さっそく長文のコメントをいただきました。すごい長くてびっくりです(^^;;>先日お伝えしたニュース「同性愛男性の脳、>フェロモン反応は女性に近いと報告書」について、>いくつかの ...
2005/05/13(金) 12:24:06 ・ 玉野シンジケート
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2005/05/17(火) 03:22:53 ・ 玉野シンジケート
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